dsc_012211月5日(木)、佼成学園の文化講演会といたしまして、インド独立の父・ガンジーさんのお孫さんで平和活動家のエラ・ガンジー女史をお招きし、男子校を含めた全校生徒で聴く機会がありました。
「マハトマ・ガンジーの非暴力の精神」~すべての命を守るために~
と題した英語でのお話は、すべて生徒が通訳をしました。本校からは高校1年生の青山さんが、見事その大役を果たしました。

dsc_0031まずは理事長先生から、友人でもあるエラ・ガンジーさんをご紹介いただきました。
「エラ・ガンジーさんは、インド独立の父といわれるマハトマ・ガンジーさんのお孫さんで平和活動家です。エラ・ガンジーさんとは昨年、インドの隣国・スリランカで、民族紛争をやめるための平和会議で友人になりました。
今回エラ・ガンジーさんは、南アフリカのダーバン市からはるばる24時間かけて、佼成学園の生徒の皆さんにお話をするために来日していただきました。二度とお話を聞くことが出来ない貴重な機会です。人と争ったりケンカをしたりせず、仲良くできる人生を送るための参考にしてください。」(酒井理事長・談)
dsc_0203講演要旨

「マハトマ・ガンジーの非暴力の精神」~すべての命を守るために~

私はインドではなく、南アフリカで生まれました。

祖父のマハトマ・ガンジーは、インド独立運動の前、23歳から44歳までの21年間を南アフリカで過しました。弁護士でもあったガンジーは、裁判での弁護を依頼されて南アフリカにやって来ました。しかし法廷や列車での人種差別を受けたことをきっかけに、弾圧と立ち向かい、解放運動に人生を捧げる決心をしたのです。

また彼は、弁護士としての経験から、裁判ではなく話し合いで争いを解決する方法に注目しました。それがやがて、「非暴力」という思想につながったのです。彼は、「真理の追求には、相手に暴力で訴えるのではなく、忍耐と思いやりが必要だ。人を恨むのではなく、積極的に敵を愛すること。そして、敵を打ち負かしたり、屈辱を与えるのではなく、その人を変えようとしなさい」と説きました。それら偉大な思想を、組織や書物などを通じて南アフリカに残し、ガンジーは祖国インドに帰国。その後の彼の活躍は、皆さんのよく知るところでしょう。

やがて南アフリカには、ガンジーの2人の息子が派遣され、引き続きアパルトヘイト(人種隔離政策)に、出版や議会活動で抵抗しました。息子の1人はずっと南アフリカに残り、彼の3人の子どもも同じように、アフリカでの自由化への政治活動に参加したのです。その1人が私です。当時の南アフリカは、人種隔離だけでなく、女性の地位も低い社会でした。しかし婦人連盟を発足させるなど、私たちは数々の抵抗を試みました。何千もの人々が、投獄、監視、自宅軟禁、国外追放を受けましたが、私たちは非暴力闘争を続けたのです。やがて外国からの支援もあり、戦争などの武力行使に頼ることなく、私たち南アフリカは、民主的な社会体制へと変革をとげました。

まだまだ南アフリカには犯罪や貧困などの問題が山積みです。そんな社会を変えるには、今なお、ガンジーの「平等」「非暴力」という考え方をよく知る必要があるのです。

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吉田生徒会長(写真左から1人目)と青山さん(写真右から2人目)はそれぞれ司会と英語でのお礼の言葉の大役をつとめました。
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花束を贈呈
●エラ・ガンジー女史(1940年~)
南アフリカ生まれ。69歳。
平和活動家、ダーバン工科大学学長。元・南アフリカ議会議員。マハトマ・ガンジーの孫。
南アフリカ大学を卒業後、社会福祉の分野で活動。50歳台から政治分野で活動。政府の弾圧を受けて、8年間自宅軟禁状態になったり、息子が暗殺されたりした。そんな苦難を乗り越え、2003年まで南アフリカの国会議員として活動。現在はこれまでの経験を生かし、様々な平和活動団体の創設や、その団体の会長や役員として平和を訴える活動を展開中。

●マハトマ・ガンジー(1869~1948年)
インドを独立に導いた思想家。南アフリカでの活動を通じて、「非暴力」「自己浄化」「不殺生」の3つを柱とする戦いを確立。インド帰国後はこの考え方を、イギリスに反抗するインド人の民族運動に広めていった。

(佼成学園女子中学高等学校 広報室)