理事長講話5月18日(水)、中学3年生を対象に、酒井理事長の講話が行われました。ちょうど東日本大震災の被災地である宮城県に行かれたばかりの理事長は、撮影された写真と共に被災地の状況、避難されている方々の様子をお話してくださいました。

皆さん、こんにちは。4月に進級されて中学3年生らしくなられたなあと、皆さんのお顔を嬉しく拝見しています。
私は5月12、13日と、東日本大震災の被害にあった石巻市と女川町に行って来ました。
そして、ようやく生き延びた方々とお会いしてきました。これから皆さんに写真をお見せしながら、そのときのお話をしたいと思います。

当日は車でまず石巻市内に入りました。道路は走れる状況になってはいましたが、両側の町は瓦礫が積み上げてあり、人はいませんし、犬も猫もいません。もちろん住むことはできません。
次に、もっとひどい状況の女川町に行きました。高台に女川町民病院という大きな病院がありました。駐車場に立って町を見渡したら、涙が出てきました。津波に襲われ、町の半分以上の人が亡くなったのです。
案内してくださった人がある方向を指差して言いました。「あそこに4階建ての銀行がありました。津波が来るというので、18人が屋上に逃げましたが、全員が亡くなってしまいました」
写真を見ていただくと分かりますが、見渡す限り瓦礫、鉄骨はぐちゃぐちゃです。まだ9000人を超える人が見つかっていませんが、もはや遺体では判別できませんから遺族には背中しか見せず、DNA鑑定で調べたりしているそうです。

この海の向こう側で、18歳の少年が命を失いました。車でお父さんの煙草を買いに行って、津波に飲まれたそうです。遺体は車の中で見つかりました。お父さんは「俺が頼まなきゃ良かった。俺が代わってやればよかった」とずっと悔やんでおられました。私は思わず、少年の見つかった場所に向かって手を合わせたのであります。

東日本大震災東日本大震災

写真にあるコンクリートの固まりも、この近隣のものではなく、津波でどこからか運ばれてきたものだそうです。ものすごい津波の力です。
私は被災された皆さん30人余りにお話を聞かせていただきました。皆さん、涙ながらに語ってくださいました。

この写真のおじさんは、思い切ってそのとき孫と一緒にトラックの屋根に乗ったそうです。トラックが浮いて、その上で1昼夜を過ごし、自衛隊のヘリコプターに救助された。トラックの上で、たくさんの人たちがおぼれていたのを見たそうです。しかし助けてあげることができなかったと。

こちらのおばさんは車で逃げましたが、津波のスピードは110キロもあったので、押し流されてしまった。アパートの駐車場まで流されて、車のガラスを蹴飛ばして割って、外に出ることができた。アパートにいたお兄さん2人が泳いで助けてくれたそうです。
しかし、実家に帰ったら、年老いた両親がお部屋で座ったまま亡くなられていた。子供も孫も助かったのは、「両親が身代わりになって助けてくれたんだ」とおっしゃいました。

こちらの方はお寿司屋さんです。90歳になるお母さんを最初は2階の押入れに入れ、1回目の津波で1階がだめになったので、今度は天井裏にお母さんを隠したそうです。お2人とも助かって、水がひいたあと、お母さんは「私は津波を見ていないからちっとも怖くなかった」とおっしゃったそうです。そんな方もおられたのですね。

こちらのおばさんは、石巻の駅まで逃げたそうです。はしごがあったので、駅の屋根に20人くらいで上がって、助かった。しかし目の前を車や家が流されていくのです。目の前で津波に消えていく人たちを思い出すと、「私は胸が痛い」と。

現在避難所にいらっしゃる方々に、このような壮絶な体験を聞かせていただいて、私も本当に胸が痛みました。これが現実でした。
ある方はこうおっしゃいました。「家も流されて全財産を失って、今は命があるだけでありがたい。もう私には欲はありません。春夏秋冬で着るものがそれぞれ3枚あればけっこうです。避難所で若い人たちに世話を受けたり助けたてもらったりしたので、私は元気になったら人のためにお役に立ちたい、そういうことを思っています」。

避難所の皆さんが異口同音に口にされたことがあります。それは、「避難所の中で誰も物を奪い合ったり、我先にと人を押しのけるようなことはなかった。みんなが助け合って、秩序を守っていた」ということです。
「避難所でひとつのおにぎりやパンを2つ3つに分けてみんなで食べた。人の思いやりの温かさを感じた」と。

東日本大地震東日本大地震

実は避難所の中で、いち早く立ち上がってがんばったのは中学高校生たちです。まず最初に、この写真の高校生の子が友達と一緒に避難所の清掃を始めました。年配の方たちは何もかも失ってがっくりしています。若い人たちはまだ元気でしたから、みんなでできることをやろうと考えて、清掃奉仕を始めたのです。

また、この小学生の兄弟は、いまだにご両親が行方不明です。でも、救援物資が届くとみんなに率先して届けてあげています。また、この少女2人は、丘の上の養護老人施設に毎食お弁当を届けています。
避難所の中で若い人たちが困っている人たちを助ける、そんなことがあちこちで行われていたのです。

こうした光景は、海外のメディアからも賞賛されました。ひとつは、日本人はこのような困難な状況においても、礼儀正しく秩序を守っている。2つ目に、日本人は弱音をはかない。不屈の心を持っている。3つ目に、若い人たちが率先して手助けをしている。
いろんな国々が、日本の大震災の様子を見て称えています。これが、東日本大震災から学ぶ出来事です。
作家の辻井喬さんも新聞で、避難所の中に日本人の本当の姿があると書かれていました。裸になった日本人の姿は、礼儀正しいのです。
被災者の方々は食べるものがなかったときに「みんなで分け合った1個のおにぎりが本当においしかったんですよ」とおっしゃっていた。

ここにいる私たちは何の心配もなく、3度の食事をいただくことができます。どうか皆さん、もう一度、元気に学校に行けることの感謝、またこの震災を通して賞賛された日本人礼儀正しさ辛抱強さという美徳、そういったことを胸に抱いて、これからも学校生活を送ってもらいたいと思います。

(佼成学園女子中学高等学校 広報室)