Plumeria On Grass皆さんこんにちは。校長の山内日出夫です。
毎月1回、校長としての私の感想や考えを「山内校長の【和顔愛語】(わげんあいご)」として、当ホームページで発信しています。学校のこと、生徒たちのこと、世の中のことなどを織り交ぜながら、皆さんと何かを共有できればと思います。どうかよろしくお願いします。
第13回目の今回は、「山笑う」と題してお伝えします。

春休みを利用して、郷里会津若松市の留守宅の「冬終い」に帰って来ました。
軒下には、まだ雪が残っており、今冬の寒さが、いつもの年より厳しいものであったことが分かります。家廻りや植木等の雪囲いをとるには、早い様な気もしましたが、帰省する時期と期間が限られており、二日程かけて作業をしました。
運良く天候にも恵まれ、和らいだ春の陽に包まれ、作業ははかどりました。北国では寒さの厳しさもあり、春の陽はひときわありがたさが感じられるのです。

その作業の合間に掛けておいたラジオから、「山笑う」という「語」が流れ、耳に残りました。
「山笑う」は、中国、北宋の画家、郭熙(かくき)の「春山淡冶(たんや)にして笑ふが如く、夏山蒼翠(そうすい)にして滴るが如し、秋山明浄にして粧ふが如く、冬山惨淡として眠るが如し」からの引用とのことです。
広辞苑には、「春の季語。春の芽吹きはじめた華やかな山の形容。冬季の山の淋しさにに対していう」とあります。
春は「山笑う」、夏は「山滴(したた)る」、秋は「山装う・粧う」、冬は「山眠る」ですから、いずれも四季の美しさに囲まれてきた感性が創り上げた言葉の様で、日本の季節をも巧みに表している不思議さがあります。

校舎と桜この「山笑う」を、正岡子規は「故郷やどちらをみても山笑ふ」としました。
この時期の学校も、やはり子規が句作した様に『「学校」やどちらをみても山笑う』の形容がぴったりです。
卒業、進級、入学と「華やかな芽吹き」が続き、それぞれの木々には勢いがあります。

第58回卒業生代表の答辞は、この様な言葉で締め括られていました。
「私は将来、私を支えてくれた人たちのように大きな人になりたいです。人の痛みが分かるひとになりたいです」というものでした。
私はこの言葉を進級する在校生たちに、この様に伝えました。
『これは自分にとって「こうありたい」、「こうあり続けたい」という人間としての根っこの部分の「ありたい姿」です。「生き方」として、最も大切なものといえるでしょう。ましてや後輩である皆さんへのメッセージとしても、とても貴重なものです』と。

在校生たちも答辞を述べた卒業生同様に、本校で「心を鍛え」ています。
それは「人の喜びや悲しみがよく分かる心。そして明るく、温かく、素直な心で人のことを思いやれる心」を、です。
在校生たちも先輩としての自覚から、勉強や行事、部活動等学校生活の中で新入生たちへ、この「心の在りよう」の大切さを伝えていくことになります。
学校は、春、やはり「山笑う」です。

(佼成学園女子中学高等学校校長 山内日出夫)