Bright White Star In Spaceこの夏、ロンドンではオリンピックに続き、8月29日(水)から9月9日(日)の12日間にわたってパラリンピックが開催されました。今年は史上最多の164の国と地域から、約4300人の選手が出場。日本からも134人の選手が参加し、素晴らしい熱戦に目が離せなくなった人も多かったと思います。
また、視覚障害選手たちをサポートするガイドランナー(伴走者)や、コーラー(手たたきなどの音源を選手のために出す人)といったサポートスタッフの姿に、選手たちがたくさんの人に支えられていることも感じた大会でした。

NHKと民放で放映されていたオリンピックと違い、放映はNHKの昼の短時間のみ。それでも連日スポーツニュースで取り上げられていたこともあって、試合や選手たちの様子を目にする機会はいつもの大会より多かったように思います。
パラリンピックは、生まれながらに、または事故や病気によって障害を持つ人たちのオリンピックです。今までのパラリンピックは、日本の新聞では社会面で取り上げられることが多かったのですが、今年のパラリンピックからスポーツ欄で取り上げられるようになりました。また、ロンドンでは観戦チケットが開会式前に96%が売れていたという話を裏付けるかのように、どの競技も客席は埋まっており、日本でも世界でも障害者スポーツという存在が今回のパラリンピックをきっかけに、飛躍的に認知されたかのようにも思われる大会でした。
「いつも五輪に比べるとパラリンピックは観客が少ないのに、ロンドンは違う。トラックから観客席を見上げると、人が光に見えた。輝いていた」。パラリンピック出場6度目の女子5000メートル(車いす)の土田和歌子選手は、競技会場の印象をこう語ったそうです。

佼成女子の生徒たちくらいの年齢でしたら、初めて障害者スポーツを見る人も多かったと思います。まずは開会式の入場行進での選手たちの本当に嬉しそうな様子に思わず顔がほころび、選手たちがここにやってくるまでの努力や苦労に考えが及んだかもしれません。
そして、例えば腕や脚のない選手がどのように泳ぐのだろう、目の見えない選手がコースを外れずに走るのはなぜだろうと、不思議に思ったかもしれません。またゴールボールや車いすでのテニスやフェンシング、ラグビーといった未知の競技を見て見たいと思ったかもしれません。
しかし、実際に競技が始まってみると、「この身体だから何ができない」でなく、「この身体で何ができるか」を考え、それに向かって大変な努力をしてこの場所に到達した選手たちの数々の真剣勝負は、私たちに手に汗を握らせ、最終的には健常なスポーツ選手を見るのと変わらない視線で、パラリンピックの競技者たちをリスペクトして見ていることに気が付いたと思います。その一方で、選手たちの、この場所を最高に楽しんでいるという雰囲気は、見ている私たちを嬉しくさせ、なごませてもくれました。

最終的に日本は、金メダル5個、銀メダル5個、銅メダル6個の合計16個を獲得。金メダルは、車いすテニスで北京に続いて史上初の2連覇となった男子シングルスの国枝慎吾選手のほか、柔道男子1つ、競泳2つ、また、ゴールボール女子が女子の団体競技として初めて獲得し、キャプテンの小宮正江選手は閉会式で旗手を務めました。

handsオリンピックとパラリンピックには、選手の身体的ハンデ以外にも大きな違いがあります。それは、資金、練習場所、練習時の援助の問題です。パラリンピックには、オリンピックほどのサポートはなく、企業からの支援があって競技に専念できる選手はごく少数です。
多くの選手は、家族、地域、支援者による寄付や、自分の時間を使って練習や試合をサポートしてくれるボランティアスタッフの助けがあって、海外の大会に参加し、世界ランキングをこつこつと上げ、パラリンピックの切符を手にしたのです。
例えば、陸上競技男子5000m(視覚障害)で銅メダルを獲得した和田伸也選手の写真は、並走するガイドランナーの中田崇志さんと共に大きく配信され、これが二人三脚のレースであることを印象付けました。
「自分の力だけではない。そうした周りのサポートがあるからこそ、今の自分がいる」。何も知らずに聞くと実にシンプルなこの言葉は、選手たち一人一人のドラマを少しでも知ると、とても深いものになります。

パラリンピックの理念は 「失われたものを数えるな 残された機能を最大限に活かせ」。
これは、脊髄損傷を受けた人の治療に全力をつくし、マヒのない側のリハビリ手段としてスポーツを取り入れたルードヴィッヒ・グットマン博士の言葉です。グッドマン博士は「パラリンピックの父」と呼ばれており、パラリンピックの語源の一つとなっているParaplegia (半身不随・麻痺) も博士が名づけたものです。
ちなみに出場者の範囲が広がった現在では、平行の(Parallel)の意味も付け加えられ、もう一つのオリンピックとも呼ばれています。

「失われたものを数えるな 残された機能を最大限に活かせ」。
パラリンピックの選手たちは、これを見事に体現してくれました。「競技と出会うことによって自分に自信を持つことができた」とは、多くの選手が口にする言葉だそうです。
その選手たちの舞台を見ていた私たちは、身体も頭も、その機能を最大限に活かせているのだろうか。改めてそんなことを感じた夏でもありました。

(佼成学園女子中学高等学校 広報室)