茶道皆さんこんにちは。校長の山内日出夫です。
毎月1回、校長としての私の感想や考えを「山内校長の【和顔愛語】(わげんあいご)」として、当ホームページで発信しています。学校のこと、生徒たちのこと、世の中のことなどを織り交ぜながら、皆さんと何かを共有できればと思います。どうかよろしくお願いします。
第21回目の今回は、「日本文化は背筋を伸ばす文化」と題してお伝えします。

「日本文化は背筋を伸ばす文化」とは、「書道パフォーマンス全国大会」にて、開催地のテレビ局が、観覧者に向けてのインタビューの際にあったひとつの答えでした。
思わず、「なるほど!」とテレビにうなずき奇妙な納得をしていました。
確かに言われてみれば、書道にしても、華道にしても、茶道にしても、背筋を伸ばした作法の中に美しさがあります。
それ以外に拾い出しても、剣道も、柔道も、空手道も、合気道も真っ直ぐにかまえた姿勢からは、空気を裂くような、裂帛(れっぱく)の気合が伝わってきます。
琴も、尺八も凛とした音色には、姿勢正しきものが感じられます。
このように並べてみると「背筋を伸ばす」とは、形だけではなく、「事柄の本質」までも現すことになるのです。

来春のNHKの大河ドラマは、題名「八重の桜」で新島襄と共に「同志社」を開学させた妻「新島八重」の物語とのことです。
この時期、書店に行くと平台に積まれた「新島八重」に関した書籍がうず堆 (たか) く積まれています。
郷里の人のことゆえ、一冊買い求め、この一週間ほどで読んでみました。

― 新島八重 ―
会津鶴ヶ城『動乱の江戸幕末から明治、大正、昭和にかけて時代を前向きに生きた女性である。
会津藩武士の娘として生を受け、兄であり会津藩校日新館教授・大砲頭取であった「覚馬」(後年、京都府議会議長、商工会議所会頭等を歴任。新島襄・八重夫妻の同志社設立を物心両面から支援)より砲術指南を受ける。
薩・長・土・肥と会津藩の戦いである会津戊辰戦争にて、鶴ヶ城に籠城、男装して大小の刀を腰に下げ、銃をかつぎ狙撃兵となり戦う。会津藩降伏。

会津藩降伏後、京都府顧問の兄「覚馬」を頼り京都に移住。
維新後、明治時代の新女性として、英語を学び、洋服を身にまとい、新島襄と共に同志社を設立、育成、その運営に力を注ぎ、現在の同志社の礎を築いたとされる。

新島襄亡き後は、日本赤十字社の中心的人物となり、社会福祉事業に貢献する。
また、日清、日露戦争では従軍看護士として、傷病兵の看護にあたる。
「美徳似為飾(美徳をもって飾りと為す)」の書を残している。』

― ―

新島八重の略歴を書き記しましたが、これだけ見ても、新島八重という「人物像」は、どの場面でも「背筋を伸ばしていた」生き方をしてきた女性なのです。
武家の娘として、明治時代の新女性として、そして戦場に赴く看護士として、それも向かい風に立ってのことです。

本校で学ぶ生徒たちが、将来どのような生き方をするのか楽しみですが、ひとつだけ願いごとができるなら、「伝わる生き方」をしてもらいたいと思います。

まもなく新しい年を迎えます。
燦然と輝く太陽に向かい「背筋を伸ばした」人々が立っている「年明け」になることを願っています。

(佼成学園女子中学高等学校校長 山内日出夫)