Colorful Maple Tree In Autumn皆さんこんにちは。校長の山内日出夫です。
毎月1回、校長としての私の感想や考えを「山内校長の【和顔愛語】(わげんあいご)」として、当ホームページで発信しています。学校のこと、生徒たちのこと、世の中のことなどを織り交ぜながら、皆さんと何かを共有できればと思います。どうかよろしくお願いします。
第31回目の今回は、「長途遠足―修学旅行」と題してお伝えします。


東京、上野公園には日本最古の博物館「東京国立博物館」があります。
正面には本館が、瓦屋根を乗せた「帝冠様式」と称される姿で、人々を圧倒するかのごとく静かに佇んでいます。
館内を見終わる最後の部屋は、「二十」という番号がつけられた、他の部屋に比べるとゆったりとした雰囲気を醸しだしている空間が広がっています。
「寄贈者顕彰室」です。
ここには、明治5年(1872年)に創立されて以来、今日まで寄贈した人々約3,000人の「名」が大きな銘板に記され、白い光が、一人ひとりの名を浮上させています。
そこに「高嶺秀夫」といった「名」が掲げられています。

諸説ありますが、彼こそ「修学旅行」の生みの親といっていい人物です。

日本史のおさらいの様になりますが、明治18年(1885年)8月、森有礼は東京師範学校いわゆる教員養成所の監督となります。
このきっかけは伊藤博文と森有礼との教育に対する交誼に基づいたことからです。
この様子を当時東京師範学校の校長をしていた高嶺秀夫は「突然として一大変革起これり」と記しています。それだけ当時、教育界にとっては大きな出来事であったのでしょう。
森有礼は、ここで従来から主張していた東京師範学校への「兵式体操」、「兵式行軍」、「兵士寄宿舎」の導入準備に入ります。
校長であった高嶺秀夫は、森有礼の主張に対し「兵式訓練を学校に適用することは必ずしも不可なしといへども、或は極端に走りて其の弊を受くることなきを保せず」と危惧し、「本校生徒をして兵士と同一の行軍をなさしむるが如きは、本校の趣旨、目的に適せざるものあり、・・・熟議の上、行軍に学術研究の為にする旅行を兼ねしむる案を立て・・・其の允許(いんきょ)を得たり」と。
要は高嶺秀夫は校長として、生徒たちに兵士と同じ様なことはさせてはならないという思いから、森有礼が示した案に脚色を巧みに加えたということです。

そして高嶺秀夫は「長途遠足」を実施します。
このことが、高い評価を呼ぶまでになり、明治21年(1888年)、文部大臣となった森有礼によって「文部省訓令第一號 尋常師範学校設備準則」が出され、ここで公に「修学旅行」という言葉が初めて使われ、また「修学旅行」が学校教育の中に位置づけられていくことになります。

それから数えて125年の時間が経ちました。現在の修学旅行の「形」は、国内だけにとどまらず世界各国へと向いています。
本校でも、中学生はニュージーランドへ、高校生は英国へとホームスティしながらの修学旅行となっています。
両国に共通するものは、沢山挙げられるとは思いますが、私が考える共通項は、何といっても「多様性」です。
ニュージーランドの国柄は、「地球を凝縮」した国と言い表すことができます。移民を受け入れ、街を歩いていますと人種の多さに驚かされます。自然も北島と南島とでは違い、温暖な世界から、氷河の世界まであります。
また英国も「イギリス民族」という概念は無く、移民関連制度の変化はありますが、基本的に多民族、多文化主義の国柄です。

nzLondon Skylines


それゆえ本校の修学旅行には、生徒たちに「世界は広く」、「多様である」ことを知って欲しいという願いがこめられているのです。

(佼成学園女子中学高等学校校長 山内日出夫)