Olympic Torch On Blue Print2月6日から始まったソチオリンピックも、同月23日に幕を閉じました。オリンピックに派遣された選手は113人、うちメダリストは10人。メダルを取った選手と取れなかった選手、完全燃焼した選手も悔いを残した選手もいたでしょう。オリンピックという場所に行きつくまでの平たんではない道、最高のコンディションで試合に臨むことの難しさも感じましたが、同時に「やっとここまで来れた!」と喜ぶ選手たちを見て嬉しくなり、選手たちの弱さにも強さにも悲しみにも喜びにも心打たれた、そんな17日間でした。

今回のオリンピックも、様々な心を動かされるシーンがありました。ジャンプ男子ラージヒルの葛西紀明選手は、個人戦で銀メダルを獲得した時は笑顔でした。しかし、続く団体戦で日本が銅メダルを獲得したとき、涙を流しました。ラージヒルチームの他の選手は、試合後に難病を公表した竹内拓選手をはじめとして、みんな調子を落としており、メダルは危ぶまれていたのです。葛西選手は試合後、こう語りました。「一緒にメダルを獲るならこいつらだなと思っていた。心が通じ合った仲間、絶対にメダル獲らせてやりたかった」

人気選手のいるフィギュアスケートは、競技の中でも突出して注目度も高く、たくさんの話題を残しました。羽生結弦選手の金メダル、浅田真央選手の集大成ともいえる素晴らしいフリープログラムなど、心に残るシーンががたくさんありました。それとは別に印象的だったのが、日本人選手たちの仲の良さです。試合前は厳しい空気の中でひとりひとりが集中していますが、終わればお互いに笑顔でお疲れさまとハグしあい、試合から解放されたエキシビションでは、他の国の選手も交えてとても楽しそうに語らっている様子が見られました。
日本のフィギュアスケート界では、有望選手は小さな頃から毎年合宿を行い、さらに試合の派遣など通じて親しくなる機会も多く、選手たちはみんな幼馴染のような関係です。日本人選手たちはたとえ同じ試合に出ても、ライバルではなく仲間。「誰も仲間の失敗を願ったりしない。仲間が失敗する必要はない。自分が最高の演技をすれば得点が入るのだから。みんなで一緒に成長していこうという空気があった。その雰囲気が日本のフィギュアを強くした」という鈴木明子選手の言葉が伝えられています。
これを聞いて、競い合うということは、相手を蹴落とすということではない。お互いをリスペクトして、共に高みへ行くのもまた競い合うことなのだなと、改めて感じました。
今回のオリンピックで、男子シングルと女子シングル、共に出場できる最大の3枠を持っていたのは日本だけです。出場選手の6人以外にも、日本以外の国であればオリンピック派遣に選ばれて当然だった選手が何人もいるという層の厚さでした。オリンピックに出場できなかったことで引退を決意した織田信成選手も、「大ちゃん(高橋大輔選手)がいたから僕もがんばれた。同じ時代にスケートができて良かった」と語っています。織田選手もまた、ライバルさえいなかったら、とは微塵も思っていないのです。

Teenagers With Hands Together手前味噌ですが、この話を聞いて思い浮かべたのが、佼成女子の団体戦で挑む英検や大学受験、1年間のニュージーランド留学です。一人だけでがんばっていると、次第に辛くなります。でも、そこに仲間がいれば時には話を聞いてもらい、時には聞いてあげ、励ましあって先に進むことができるのが団体戦の良さ。特に留学ともなれば、家族とも離れてホストファミリーの家で暮らすのですから、言葉の違う人と心を通わせることも、留学先の高校の授業についていくことも、すべて初めての毎日がサバイバル状態。「最初は、毎日何回も日本に帰りたいと思っていた」と語る生徒は少なくありません。
日本の佼成女子での学校生活が励ましてくれるのです。自分だけが特別なことをしているわけではないと思えることで、最終的に「もう少しニュージーランドにいたかったです(笑)」というくらい、留学生活に溶け込む。まさに、「仲間がいたからがんばれた」なのだと思います。

金メダリストとなった羽生選手は、リンクから出るとき氷にむかって一礼し、表彰台に上る前にも一礼しました。まだ10代である羽生選手のそうした姿はことさら美しく、日本人として誇らしく思う方は多かったのではないでしょうか。安倍首相もお祝いの電話でそのことを伝えたとの報道もありました。
佼成女子でも、校訓の「行学二道」のための5つの実践の一つに「校門出入り一礼の実践」があります。生徒だけでなく、教職員も校門から入るとき、また出る前には一礼をしています。お世話になる場所、お世話になった場所に一礼する。こうした習慣は、慣れてしまうと形だけのものになりがちですが、しかし礼というは心がこもれば美しいのだということを、羽生選手のおかげで思い出したように思います。
羽生選手は被災者の1人です。被災した時は高校生でした。試合後のインタビューでは、仙台のリンクで練習中に震災にあったこと、死を覚悟したこと、フィギュアスケートはもう続けられないと思ったこと、今でも当時の光景が頭の中でフラッシュバックして涙が止まらなくなったり、夜もうなされたりすることを語っています。しかし、ホームリンクを失った羽生選手は、スケート関係者や仲間のスケーターたちの協力で日本各地のアイスショーに出演しつつ練習を続け、震災の翌年の世界選手権では銅メダルを獲得しました。多くの人の助けでスケートを続けてこられたという感謝も試合後のインタビューで語られましたが、その気持ちも彼のスケートにさらに強さと深みを与えているように思います。その一方で、ソチで最高のメダルを獲得したにもかかわらず、「実際に優勝したら無力感に襲われました。金メダルも、復興の直接の手助けにならないって感じたからです」という非常に正直な気持ちを吐露しています。

今年もまた3月11日が巡ってきました。震災の年の2011年9月の佼成学園創立記念日、被災地支援を行っている非営利活動法人ジェン(JEN)理事・事務局長である木山啓子さんの記念講演がありました。その時にジェンの石巻のスタッフで被災者の杉浦さんから「皆さんが被災地に支援をしたいと思ったら、まず自分の目で見て、感じてほしい。それを忘れないでほしい」という言葉があったのを、講演を聞いた人は覚えているはずです。
「忘れないでほしい」。この同じ言葉を、羽生選手もまた語っています。「被災地のことを忘れないでほしいという思いを伝えるために、これからも滑り続けます」。
3年目の今でも、26万7000人もの人が避難生活を送っています。報道が減ると印象が薄れ、やがて忘れがちになる。このことは、私達が最も自戒しなくてはならないことです。もう3年なのか、まだ3年なのか。いずれにしても震災は何も終わっていません。この機会にまた考える人が増えてほしいと願います。

オリンピックを終えたソチでは、3月7日からのパラリンピックが始まりました。こちらもまた、人間の身体能力の素晴らしさを日々伝えてくれています。
「失われたものを数えるな 残された機能を最大限に活かせ」。これは、「パラリンピックの父」であるグッドマン博士の言葉です。
私たちは持って生まれたものを最大に活かせているか、仲間と高めあっているか、支えてくれている人たちに感謝の気持ちを伝えているか。そんなことを感じたオリンピックでした。

(佼成学園女子中学高等学校 広報室)