蓮中高時代に別学に通う意義の一つに、人生において親兄弟以上に信頼でき何でも相談できる親友にめぐり合うことがあります。そのような親友はまず同性なのは明らかで、ある意味、異性は同じ国民でもまったくの異文化であり、本当に理解し合うには、まず自身の文化を確立してから、他者との違いを把握し、他者を理解しようと努力し歩み寄らねばなりません。つまり、容易く相互理解ができないのです。

しかし、同性ならば性格の違いは多様ですが、同じベース、同じ視点、同じ感性で向き合うことができます。生涯においてどれだけの親友に出会えるかは個人差があるでしょうが、自分のことを振り返っても中高時代が一番そのチャンスに恵まれていたと思わざるを得ません。共通の目標を持ち、利害関係もなく、個々が未熟ゆえ影響を与え合いながら成長する時期だからかもしれません。しかも、女子校ならそんな仲間に出会える可能性が倍となるのです。

先日、体育祭に卒業生が遊びに来た際、「大学にはいわゆるホームルームがなく、クラスで一丸となって何かをするようなこともなく(気が合わない人とは話す必要もない)、拍子抜けした感じ。受験を含め仲間と時にはぶつかり合い切磋琢磨する機会がないのは薄っぺらだ」とこぼしていました。彼女は6年間を本校で過ごしたのですが、各競技で中1から高3までが、クラスごと全力で競技しているのを眺めながら、それぞれの学年に当時の自分を探しているようでした。帰る際には何かすっきりした顔をしていたので、きっと自身の原点、初心に気づき在校生からエネルギーをもらったのでしょう。

昨今の社会情勢が将来を担う次世代の子供たちによい影響を与えていないのは周知の事実です。少子化が叫ばれ、兄弟も少ないだけでなく、家族もそれぞれが忙しく、何か悩みがあってもそれを気軽に相談できる環境を家庭に持っている生徒は少ないのではないでしょうか。

しかし、学校へ行けば、友達や姉、妹以外に「おかあ」や「おとう」、「あにい」のようにいつも自分のことを本気で心配してくれる大人もいる。留学はもちろん修学旅行でさえ、ホームステイが基本で、いわゆる家庭の味を満喫できる体験もある。現代の家庭で成し得ない経験も出来、成長に必要な心の栄養を過不足なく得られるのではないでしょうか。

花子とアン

NHK連続テレビ小説『花子とアン』番組サイトより

ドラマの中で不幸な生い立ちの伯爵令嬢「蓮子さま」が花子の実家に遊びに行ったシーンで、花子の母親に「おかあ」と呼んでいいかと聞く場面は涙をそそります。気高く時に冷たく、毅然とプライドを保っていた女性が、自分の弱さを吐き出し、素直になるところは見る者それぞれが自身の心の奥底に秘めていた思いを打ち明けているようで、共感したことでしょう。

最近の私の余談はこのドラマをネタにすることが多いのですが、クラスの全員が見ている訳でもなく、自爆?することも多々あります。それでも先日、廊下である生徒と話をした際、彼女がこの朝ドラのファンであることを「目を輝かせながら」私に呟いてくれました。物静かな彼女は大変な読書家で特に歴史が大好きないわゆる「歴女」です。その方面に進学したいそうなのですが、昨今の就職戦線を思うと二の足を踏んでしまうとのことでした。しかし、互いの感動を語り合いながら、彼女が以前にも増して、自分の夢や想いを具現化しているのを感じました。先行き不安の多い彼女のこれからの人生に「花子」は何らかの指針を与えてくれたようです。私は心の中でつぶやきました。「そうけ、ふんじゃあ、こぴぃっとやれし!」

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(文責:広報室 脇坂秀樹(山梨県出身))