ひまわり甘酸っぱい女学生時代の辛苦とは比べ物にならないくらい、成人してから襲いかかる苦難が凄まじい『花子とアン』。震災で生活の基盤を失ったり、愛児を疫病で亡くすなど、まさに事実は小説よりも奇なりです。このテレビドラマを見ながら、視聴者の皆さんもご自身が体験した同等の苦難を振り返りながら、共感した部分があるのではないでしょうか。

ところで、残された者が生き抜くのに、2つのポイントがあるように思いました。1つは10代のときに、出会った苦難に立ち向かい乗り越える経験をしていること。もう1つは、支え合う仲間がいることです。
苦難を乗り越える力量があっても、当の本人の心が折れていてはその能力は活かせません。本人が本来のモチベーションを維持し、奮起するためのサポーターが不可欠ではないでしょうか。そのサポーターは伴侶かもしれません。しかし、女学校時代の学友に勝るサポーターはいないようにも思われます。なぜなら、学友は自身が奮起していた時期に立ち会った「生き証人」だからです。自分が悪戦苦闘し乗り越えた場面を客観的に見据えていた人が、いちばんの説得力を持って、本人を励ますことができるのです。もちろん、逆もまた真なりで、その友人の力に一番なれるのもまた、その本人なのです。

あぜ道女学校時代の仲間が花子の家に集まって茶話会を開いたときに、花子がふと「やっぱり女学校の頃が一番楽しかったわね」とつぶやくと、すかさず「花さん、そんなことを言ったら、ブラックバーン校長に叱られますよ」と、学友から激を飛ばされるシーンがありました。
校長先生は卒業式で、 “The best things are never in the past, but in the future.”と語りかけました。そして茶話会の学友たちは「最上のものは過去にあるのではなく、将来にあります。旅路の最後まで希望と理想を持ち続け、進んで行くものでありますように……」と、校長先生のスピーチを回想するのです。
このセリフはアナ雪の劇中歌「ありのままに」の英語版 “Let it go”で、“I’m never going back. The past is in the past.” 「私はもう戻らないわ。過ぎ去ったことは過去の中にしかない」とエルサが声高らかに歌うシーンとリンクします。やはり、現代女性が「自分らしく」前向きに生き抜くための精神的支柱は同じなのかもしれません。

女学校時代に培った学力、経験、そして仲間の真価が発揮されるのは、大学入学後ではなく、まさに社会に出てから。中高時代は長い一生のたった6年間ではありますが、その6年間が土台となってその後を支える、まさに「一生もの」の基礎養成期間です。学校は毎年新入生を迎え、毎年同様の教育活動をしますが、個々の生徒にとってはその一瞬一瞬がまさに一期一会の特別で貴重な瞬間であることを肝に命じる次第です。

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(佼成学園女子中学高等学校 広報室)