コスモス猛暑だった夏休みも終わりに近づいています。お盆も明け、本校の夏期講習も後半戦に突入です。
『花子とアン』では、ももが嫁ぎ先の北海道を逃げ出し、花子のもとにやってきました。兄やんや次女のかよも揃い、この4人兄弟に加えて甲府から心配しておとうやおかあも大集合。一家が再開したシーンでは、家族の素晴しさが具現化されていました。あにやんが「胸の奥にあるものを全部吐き出してしまえし」はアドバイスとして誰でも言えそうですが、そこに真の思いやりと信頼関係がなければ、吐き出せるものではありません。

LINE(ライン)が大流行ですが、そこに書き込むことは簡単でも、誰かが親身に対応してくれるわけではありません。そもそも大事なことであればあるほど、信頼の置ける相手に向き合って、直接相談すべきことです。こちらの真剣さが相手に伝われば、相手も真剣に考えてくれるものなのです。
昨今は、こうした瞬時に相手に届くラインやメールなどの「手軽さ」が、逆に思いを伝えづらくしているようです。
『花子とアン』の時代の昭和初期は、電話さえまだ十分に普及していなかったので、このように家族が顔を合わせて、文字通り「親身」になって話を聞いてくれる環境がありました。

本校の「佼成」という言葉も、「人と人の交わりで成り立つ」と言う意味です。
本校では、進級進学時の生徒面談に引き続き、中間考査明けには保護者面談、そして夏休みには2度目の生徒面談をする慣わしになっています。その時期に短期留学をしていた生徒に対しては、お盆明けから面談を開始しています。
面談の内容は、成績や友人関係、進路関係が主になりますが、悩んでいる生徒というのは実は全力で試験準備をしたり、思い切って本音を友人に語ったり、学部学科の詳細についてとことん調べていない場合が多いように感じます。実行が伴わないので、失敗から学び、突破口を自ら見出すことができず悶々としているのだと思います。

本校の校訓は「行学二道」です。これはもともと仏教的な用語で、「我々の人格を完成させ、世界を平和にするための教えである仏法は体験(行)と学問(学)の両方が揃って初めて体得できる」という意味です。拡大解釈して「良い行い(行儀)と学習(進学実績)」とも取れますし「経験して初めて理解できる」(失敗から学ぶ)、「習っても練習しなくては身につかない」とも取れます。つまり実践・体験学習を学校方針として重んじているのです。
本校の三大行事である「スポーツフェスタ」、「乙女祭(文化祭)」そして「合唱コンクール」もすべてクラス対抗となっており、仲間とぶつかり合いながら、互いを理解し合い、協力して目標を達成することを主眼としており、結果より過程を重んじています。
ところで、『花子とアン』の時代では、思いを伝えるのが会話や書簡というのが、今は新鮮にさえ思えます。ラジオのおばさんに届いた一通の葉書は花子を大変勇気付けたでしょうし、かつての白蓮事件では、林真理子さんの小説『白蓮れんれん』によると、蓮子と帝大生との間には何と700通以上の書簡の往復があったそうです。手紙を書いて返事を書くその時間の積み重ねと手元にたまっていく手紙が、想いの深さとなっていったことでしょう。

Sending Message On Cell昨今のラインを始めとしたソーシャルメディア隆盛の中で、コミュニケーションは気軽なものになりました。その一方で、あっという間にやり取りができてしまうために、相手の真意を理解する前に条件反射的に反応してしまった結果、誤解を生むこともあります。また、相手のペースやスケジュールを理解することなく、何度も返事を必要とするやりとりをすることで、相手の時間を奪ってしまうこともあります。
手紙の場合は、相手の顔を思い浮かべながらしたためます。送ればすぐに昼夜関係なく届いてしまうメールやラインの場合は、それにプラスして、相手の生活や性格を尊重する意識も大切なマナーでしょう。
また、大事な人からのメールはプリントアウトして、そこには直接書かれていない行間も読んでみる。時にはそんなことをしてみてもいいかもしれません。

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(佼成学園女子中学高等学校 広報室)