コヴェントリー駅皆さんこんにちは。校長の山内日出夫です。
毎月1回、校長としての私の感想や考えを「山内校長の【和顔愛語】(わげんあいご)」として、当ホームページで発信しています。学校のこと、生徒たちのこと、世の中のことなどを織り交ぜながら、皆さんと何かを共有できればと思います。どうかよろしくお願いします。
第44回目の今回は、「英国・コヴェントリー」と題してお伝えします。

「スーパーグローバルハイスクール」での交渉と調査で英国に出張し、目的のひとつである「コヴェントリー大学」を訪問致しました。

ロンドンから電車で1時間20分余で、コヴェントリーの街に着きます。
この街は、ゴダィヴァ夫人の伝説、大聖堂、自動車産業の街として、英国では知られています。
特に日本人として訪問された方なら、きっと「ヒロシマ」を思い浮かべるかもしれません。
駅から歩いて20分もすると市役所がある中心部に着きます。
そこから、回り込むほんのわずか、廃墟となった『「旧」コヴェントリー大聖堂』が痛々しげに身をさらしています。

旧コヴェントリー大聖堂第二次世界大戦下の1940年11月14日から15日にかけての深夜、英空軍がミュンヘンを爆撃したことへの報復として、ドイツ軍はコヴェントリーの街に襲いかかりました。
500機ほどの爆撃機が、150,000発の焼夷弾と500トンを超える高性能爆弾を11時間に渡って投下したのです。(資料によって、多少の違いがあります)
この空襲により大聖堂を含む中心部は壊滅状態となり、軍需工場が破壊されました。
当時の資料からは、街は瓦礫となり、建物から煙が上がり、焼け焦げ粉砕された自動車等々が放置され、大聖堂では人々がうつむき、悲しみの色が見て取れます。
その悲劇を今に伝え、忘れないために、爆撃で破壊された『「旧」コヴェントリー大聖堂』を保存しています。
そしてこれら戦争の悲劇を経験したコヴェントリーの人々は、大聖堂からの導きもあり、憎しみではなく信仰と信頼、希望によって街を再建、「平和と和解の都市」として復興させたと「今」に伝えられています。

コヴェントリー大学その理想が街の「知」の中心となる「コヴェントリー大学」で具現化されています。
大学では「平和と和解学」といった学問分野を確立させ、修士、博士課程を設け人材育成に努めているのです。
大学の案内には「平和と和解学」について『様々な紛争分析の手法や、平和学の概念、及び色々なレベルや、芸術やスポーツも含んだ様々な手法による紛争変換や平和構築の理論と実践について学ぶ』とされています。
また卒業生は、NGOやNPO、人権団体や開発団体等国際機関で働いているとのことです。

この「コヴェントリー大学」訪問で、ひとりの日本人女性と会ってきました。
高 美穂さん。
大学で「平和と和解学」のリサーチアシスタント兼講師を務めています。
彼女は、「象牙の塔」に引きこもった研究員ではなく、大学の研究職に就く前は、アフリカのルワンダ等をフィールドとしたNGOで働いてきた経験を持つ行動派の女性です。
タイのチェンマイ、チェンライのNGO訪問でも気づきましたが、中心となって働いている日本人は多くが女性たちでした。
日本人女性の視野と活躍の場が、世界へ広がっている証左なのでしょう。

高 美穂先生からは、本校のスーパーグローバルハイスクールへの支援を約束して頂くことができました。
本校からも世界で働き、世界各地から情報を発信する女性たちが出現する日が近いかもしれません。

追伸
「コヴェントリー大学」は、街に自動車産業が集積していることもあり、デザイン学は、大学の看板学部です。
特に、カー・デザインの世界では、他の追随を許さず、卒業生たちはカー・デザイナーとして、世界中のメーカーで大いに気を吐いているとのことです。

(佼成学園女子中学高等学校校長 山内日出夫)