poppy皆さんこんにちは。校長の山内日出夫です。
毎月1回、校長としての私の感想や考えを「山内校長の【和顔愛語】(わげんあいご)」として、当ホームページで発信しています。今回で第50回目を迎えることになりました。これからもより一層学校のこと、生徒たちのこと、世の中のことなどを織り交ぜながら、皆さんと何かを共有できればと思っています。どうかよろしくお願いします。
第50回目の今回は、「たいまつ」と題してお伝えします。

樹々の葉が、若葉色を着けながら柔らかな風に揺られ戻ってきました。
校内の風景もスポーツフェスタの余韻と共に、生徒たち同士の交わる声に親しさがこめられ始めています。
生徒たちからすると、入学式、始業式と緊張していた間合いから、「学校の雰囲気にも慣れ」、「友だちもでき」、「教師たちの気持ちの在り様も掴み」等々といった、程よい間合いを探ることができたからかも知れません。

前回(第49回) の「和顔愛語」は、 司馬遼太郎が若者たちに残した『二十一世紀に生きる君たちへ』を基に書きました。
それは、「『たのもしい自己を確立する』のは本能ではなく、『訓練』をして身に付けられていくものなのである」とした考え方が、学校の入学式や一学期の始業式にある「特別の輝き」にふさわしい作品と思えたからです。
そして、程よい間合いが出来た生徒たちにふさわしいものに、『二十一世紀に生きる君たちへ』に併載されている『洪庵のたいまつ』があります。

書き出しは、この様なものです。
「世のためにつくした人の一生ほど美しいものはない。ここでは、特に美しい生がいを送った人について語りたい。緒方洪庵のことである。この人は江戸末期に生まれた。医者であった。かれは名を求めず、利を求めなかった。あふれるほどの実力がありながら、しかも他人のために生き続けた。そういう生がいは、はるかな山河のように、実に美しく思えるのである」(原文のママ)。

緒方洪庵(1810~1863)は、江戸後期の蘭学者・医者・教育者。備中(びっちゅう)足守(現岡山県岡山市)の人。
初めて大坂で医学を学び、1830年江戸に出て蘭学を学び、1836年長崎に行き蘭方の知識を深めました。種痘の普及にも尽力し、日本における西洋医学の基礎を築いたのです。
医業のかたわら蘭学塾(適塾)を開いて青年を教育。門人は3000人ともいわれ、大村益次郎、福沢諭吉等々がいます。
彼ら弟子たちには、医師が守るべき戒め「芙氏医戒之略(ふしいかいのりゃく)」12ヵ条をまとめ指導しました。
※「芙氏」とは、ドイツを代表する医師フーフェランド(C.W.Hufeland)を指す。

その第1条には、「医の世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらずということを其業の本旨とす。安逸を思はず、名利を顧みず、唯おのれをすてて人を救はんことを希ふべし」とあります。

要は、「医者は人のためであって、自分のためではない。ただただひたすらに人を救うことだけを考えよ」という意で、これを弟子たちに求め、戒めたのです。

fireこのような緒方洪庵の生き方を、司馬遼太郎は『洪庵のたいまつ』のまとめで、こう書いています。
「かれの偉大さは、自分の火を、弟子たち一人一人に移し続けたことである。弟子たちのたいまつの火は、後にそれぞれの分野であかあかとかがやいた。やがてはその火の群れが、日本の近代を照らす大きな明かりになったのである」。

では、周囲と程よい間合いが出来た生徒たちにすれば、次にどう自身との間合いを詰めていくのか、如何に自身の「駒」を進めればよいのかでしょう。肝心なところです。『洪庵のたいまつ』の出だしは、「世のためにつくした人の一生ほど美しいものはない」としています。
将来、生徒たちが、どの様な「道」を選択するにせよ、これから始まる自身との間合いの詰め方は、「生き方が美しい」と評される価値観、哲学を身に付けることの出来るものにして欲しいのです。
そして「たいまつの火は、美しくあらねばならない」と言える学校で在り続けたいと思います。

(佼成学園女子中学高等学校校長 山内日出夫)