花火皆さんこんにちは。校長の山内日出夫です。
毎月1回、校長としての私の感想や考えを「山内校長の【和顔愛語】(わげんあいご)」として、当ホームページで発信しています。学校のこと、生徒たちのこと、世の中のことなどを織り交ぜながら、皆さんと何かを共有できればと思います。どうかよろしくお願いします。
第53回目の今回は、「真夏の第九」と題してお伝えします。

「ハンドボールのインターハイが終わった」。
「終わった」と表現するにふさわしい戦いを、これまで選手たちはしのいできました。何かが残る良い試合でした。

そのハンドボールチームのインターハイ応援に、大阪堺市へ関係者と共に行って来ました。
試合前日、宿泊先のホテルの部屋で、スマートフォンにダウンロードしたラジオのアプリから流れるベートーベンの「第九」に耳を傾けていました。
聞きなれた第四楽章「歓喜の歌」が、圧倒する音を響かせてくれます。

この第四楽章「歓喜の歌」は、ドイツの代表的作家フリードリヒ・フォン・シラーによって書かれた”An die Freude”「歓喜に寄す」という詩を元にしています。
ベートーベンは冒頭の

O Freunde, nicht diese Töne!
おお友よ、このような音ではない!
sondern laßt uns angenehmere anstimmen, und freudenvollere.
そうではなく、もっと楽しい歌をうたおう。そしてもっと喜びに満ちたものを。

の部分を書き足しただけとされています。

ラジオ日本では、第九の演奏は年末の風物詩として、すでに定着しています。
そしてラジオ、テレビからも、この季節になるとどこからとなく「歓喜の歌」が流れてきます。
“何故”、日本では「第九」なのか。

現在の徳島県鳴門市に第一次世界大戦の捕虜を収容する施設「板東俘虜収容所」が設置され、約1000人のドイツ人兵士が収容されていました。
1917年から1919年までの約3年間のことです。
ドイツ人兵士の収容所暮らしを伺う上での貴重な資料が残されています。
収容所所長、松江豊寿大佐のドイツ人兵士捕虜に向けての訓示です。
「諸子は祖国を遠く離れた孤立無援の青島において、絶望的な状況のなかにありながら、祖国愛に燃え最後まで勇戦敢闘した勇士であった。しかし刀折れ矢尽き果てて日本軍に降ったのである。だが、諸子の愛国の精神と勇気とは敵の軍門に降ってもいささかも損壊されることはない。依然、愛国の勇士である。それゆえをもって、私は諸子の立場に同情を禁じえないのである。願はくば自らの名誉を汚すことなかれ……」
このように、人間としての尊厳、名誉を重んじることに、松江豊寿大佐は努め、心を砕いたのです。

捕虜たちは自主活動が認められ、パンやバターの作り方、印刷や土木技術など様々なドイツ文化が地元住民に紹介され、音楽活動も盛んに行われていました。
そして1918年6月1日に第九の全曲がドイツ人兵士の捕虜たちによって演奏されました。
そしてここから、日本全国津々浦々まで「第九の演奏」が行き渡ることになります。

スマートフォンのアプリから聞こえる「真夏の第九」は、生徒たちの暑い夏を応援しているようでした。

Laufet, Brüder, eure Bahn, Freudig,    
進め、兄弟よ、おまえたちの行く道を
wie ein Held zum Siegen.
喜びに満ちて、勝利に向かう英雄のように

(佼成学園女子中学高等学校校長 山内日出夫)