理事長講話12月24日の2学期終業式も終わり、終業式後には高校3年生対象に酒井理事長先生からの講話がありました。佼成女子の生徒たちは、年に1回酒井理事長に講話授業をしていただいていますが、あと3か月で卒業を迎える高3にはこれが最後の授業となりました。

佼成学園の校訓は、行学の二道です。これを校訓として、皆さんは日常生活の中で頑張ってこられました。そして先日、私は校長先生から嬉しい報告を受けました。先月12月7日のことです。視覚障害を持たれたお年寄りが、自分の家に帰ろうとして迷い、家がわからなくなってしまった。それをたまたま見ていた2人の高3生が、「どうされたんですか?」と声をかけ、住所をお聞きしてその方を送り届けたそうです。その方は生徒たちに学校名を聞き、翌日校長先生のところにお礼の電話をくださったのです。これは行学二道の、素晴らしい人としての行いの道です。私は話を聞いて非常に感銘を受けました。お2人の名前をここで申し上げますので、皆さん拍手でたたえてあげてください。
佼成学園で学べば、勉強だけではなくて、人助けができる心持つ人になれるというのは、私にとっても嬉しいことです。どうか、ここだけで終わらないで、これから卒業して、あるいは大学生になり、社会人になっても、人を傷つけたり、人を悲しませたりする行いではなく、いつも人を助ける、人に喜ばれるような行いを日常の中でできるような、心豊かな人間に育っていってもらいたい。この学校はそういう人間になることを校風として掲げています。校長先生を始め、担任の先生方もそういうふうに育ててきてくれたのだろうなとたいへん嬉しく思い、私にとって皆さんは思い出の学年となりました。

今日は私の最後のお話です。これから卒業して大学生となり、社会人となり、そしてやがて結婚し、母となるかもしれない皆さんに、これからの長い人生の中でぜひ心しておいてもらいたいことがあります。それは命の尊さ、命の尊厳ということです。
私は実は先日、北海道の札幌に行ってまいりまして、ある方からこんな作文をもらいました。それは、「命に過ぎたる宝なし」。命よりも他に尊い宝はないのだ。一番尊いのは、人間にとって命なのだという意味の諺であります。このタイトルの作文で、中3の生徒が札幌市の作文コンクール最優秀賞を受賞しました。原文全部ではありませんが、内容をご紹介します。

「私のかけがえのない宝物、それは命です。私がまだ母のおなかにいるとき、母は父とのトラブルでショックを受けて、自殺しようとしました。川に飛び込もうと目をつぶった瞬間に、小さな私の姿が映り『お母さん死んじゃダメだ』と言ったそうです。それで母は自殺するのをやめて私を生んだそうです。この話を聞いたのは、私が中1のころでした。母は父とのトラブルで大変な時に私を生んでくれました。そのことに感謝しています。私は父の顔を知りません。私は母とすぐに別れて養護施設に入れられました。そこではよいことばかりではなく、逃げ出したいこともありましたが、そんなとき先生はいつも、それを乗り切ることによってひとつ大人になるんだよと言います。今では少しくらい辛いことがあっても頑張っているため、学校でも友達がたくさんできました。今、ああ生きててよかった。あの時母が亡くなっていたら、私はこの世に誕生できず、このような体験をできなかったと思います。あと半年で中学を卒業します。でもまだこれからもっと長い人生を送らねばなりません。これからも母から貰った命を大切にして生きていきたいと思います。ずっと、そしていつまでもいつまでも」

彼女は、かけがえのないものは母からもらった命だといい、お母さんに心から感謝をしています。たとえ手放されても施設の中で苦労があっても、命のあることに彼女は心から感謝をして作文を書いたのです。なんと素晴らしい中学生の少女の生き様でありましょうか。

もうひとつお話をします。私の親しくしている人の姪子さんである宮越由貴奈ちゃんは、残念ながら小4で亡くなってしまいました。彼女は幼稚園の時に足に悪性腫瘍ができ、それから5年間、長野県立こども病院に入退院を繰り返しながら、必死になって病と戦い生きたのです。息を引き取る4カ月前、彼女は「命」という詩を書きました。

「命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ
でも電池はいつか切れる
命もいつかはなくなる
電池はすぐにとりかえられるけど
命はそう簡単にはとりかえられない
何年も何年も
月日がたってやっと
神様から与えられるものだ
命がないと人間は生きられない
でも
『命なんかいらない。』
と言って
命をむだにする人もいる
まだたくさんの命がつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる
命は休むことなく働いているのに
だから 私は命が疲れたと言うまで
せいいっぱい生きよう」

この子の葬儀の時、同級生がみんなの前でこの詩を読みました。多くの人に感動を与えて、これは本となり、多くの人に読まれ、TBSで『電池が切れるまで』というタイトルでドラマ化もされました。私も読んで涙が止まりませんでした。本当に自分の命と向き合いながら一生懸命生きた少女だった。命は宝です。
でも、私たちのこの命、よく考えてみると、私1人の命ではありません。お父さん、お母さん、おじいちゃんおばあちゃんから引き継がれていたこの命、そしてこの命はやがて私の子供、また孫たちへとつながっていく。バトンタッチしていく永遠の中の1コマの命であります。

病気と闘って亡くなった私の友人は、寝たきりになりながら頭の中に浮かんできたことを詩にして、私に送ってくれました。
「今世だけの命と思っていたのに、ずっとずっと繋いでいる生き通しの命でした。先祖から受け継ぎ、脈々と流れている命の営み。途中、どなた1人欠けても私の命はありません。ご先祖様に手を合わせる時、今いただいているこの命のありがたさは、ずっと心に湧き上がっているのです。」
そうですね。私たちのこの命は途中、どなた1人でも私たちの先祖がいなかったらこの命はない。このことを、おそらく彼女は天井を見ながら書いてきたのでありましょう。本当にご先祖様に手を合わせる時、今いただいているこの命のありがたさがふつふつと明らかになってくるのです。彼女は、こう書いて酒井さん、本当に命というものは、自分だけのものじゃないのですねと私に話してくれました。

日本生命科学の第一人者、村上和雄さんという筑波大学の名誉教授がおられます。先生が産経新聞に「命はなぜ尊いのか」というテーマで寄稿されたことがあります。1つの受精卵からわずか38週間でなんと60兆の細胞からの赤ちゃんになるそうです。その設計図を描くのは人間の力ではありません。1個の受精卵からヒトの赤ちゃんになるまでに、胎児は生物の進化を繰り返すと言われます。わずか38週間で38億年の生物の進化の歴史を経過するのだそうです。受精卵はわずか0.6mg。生まれるときは3000g。生まれてから20歳になるころには約60kgとして20倍です。いかにおなかの赤ちゃんの成長がすごいことなのか。先生はこうおっしゃっています。「私たちの命は38億年のいろいろなものを背負って生まれてきたかけがえのない命だ」と。本当にそうだなと思うのであります。

仏教のお釈迦様の教えの中に、「ひとの生をうくるはかたく やがて死すべきものの いま生命あるはありがたし」とあります。人間は生まれてくることが難儀なこと、そしてやがて死んでいく。今、命があることがいかに尊いか。
産声を上げてから24時間と生きられない命が、この地球上には150万人あるそうです。途上国では生後1か月内に死亡する赤ちゃんが日本の赤ちゃんの33倍という数字もあります。ものすごい数の赤ちゃんが1ヵ月後には死んでしまっている。いかに生きていくことが大変なことか、命があることがいかに尊いかということを、このデータが示しています。日本に目を向けると、少子化と言われ、この世に生まれる新しい赤ちゃんは年間100万人です。産まれてくる子の命の尊さを皆さんにはぜひ考えてもらいたいと思うのです。

フィギュアスケーターの安藤美姫さんは、妊娠をして悩み、こう言いました。
「最後まで私は迷いました。赤ちゃんにサヨナラしてしまうのはどうしても嫌だった。女性としての幸せを考えて、私はスケートよりもその後の命を選びました」
なんと素晴らしい言葉でしょうか。
私には5人の孫がいます。初めて孫が生まれたとき、その子が「おじいちゃん、あなたのところに生まれてきたよ。これからよろしくね」と、私に語りかけてくれているように見えました。私は孫を見ているうちに、ああそうか、おじいさん、おばあさん、父さん、母さん、そこから受け継いだ私の命が、やがて息子に受け継がれていって、私の命が目の前にいる孫に引き継がれて行ったんだなと実感として分かった。私は「ああ、命のリレーがなされたな」とつぶやきました。息子はそれを聞いていて、「僕だけの子供の命ではない。お父さん、お母さん、じいさんばあさんから受け継がれてきた尊い私の子供の命だ。やがてこの命は次の世代へと受け継がれていく尊い命だと思ったら、しっかり育てなきゃいけない」と思い、私の家内にそう言ったそうです。

実は私は毎年、高3の先輩方への最後の授業には、この「命の尊さ」の話をしてきました。自分を確立して、自分の人生を無駄にすることないよう、立派な女性として、さすがは佼成女子で学んだ生徒だと人に言ってもらえるような人生を生き抜いてもらいたい。自分の命も人の命も尊い。そういう尊い命を決して犠牲にすることがないように生きていってもらいたいと思っています。

(佼成学園女子中学高等学校 広報室)