P皆さんこんにちは。校長の山内日出夫です。
毎月1回、校長としての私の感想や考えを「山内校長の【和顔愛語】(わげんあいご)」として、当ホームページで発信しています。学校のこと、生徒たちのこと、世の中のことなどを織り交ぜながら、皆さんと何かを共有できればと思います。どうかよろしくお願いします。

第65回目の今回は、「Pなるもの」と題してお伝えします。

2016年8月に渋谷パルコが閉店するとのニュースを聞き、パルコ通り(公園通り)を久し振りに歩いてきました。
将来どのような街が形成されていくのかも楽しみですが、懐かしさと共にひとつの郷愁に浸りながらの歩みでした。
渋谷駅から、世界的に有名になった交差点を多くの人々と肩を触れ合いながら渡ると、間も無くパルコ通り(公園通り)に出ます。
想い出深い小劇場「渋谷ジァン・ジァン」の看板があった東京山手教会の前でたたずみながら、昔の風景を想い出しながら看板類を確かめてみました。
そこには、全く知らない店名がありました。

かつて「ジァン・ジァン」の前には、20代前後の多くの若者たちが入口を囲み、行列を作り外にもれる音に耳を澄ませていました。
そこには、若かりし頃の浅川マキや美輪明宏等々がいました。
熱にうなされるような、肌が泡立つような、その様な雰囲気に、その通りは包まれていたのです。

閉店を迎えたパルコでは、当時の時代を創ってきた「山口はるみ展」が開催されていました。
受付の人に聞くと、私のような年代(60代)の者が多いと言い、確かに入場者は、白髪交じりの人が多く見られました。
親切にも、「作品の写真を撮っていいですよ」案内していましたから、多くの入場者は、スマートフォンや携帯電話を駆使して懐かしい想い出を切り取っているのです。
同様に、私もそのひとりとなっていました。

当時、同じ様に『ビックリハウス』といった若者文化をリードしていた雑誌があり、昔で言う「藁半紙」の様な紙に印刷され、それがひと際味の違った新しさを伝えていたのです。
今は、地方のニュースを配信しているアプリがあります。
毎朝、気になる地方のニュースを、そのアプリを活用しながら見ています。
たまたま読んだ群馬県のニュースに、「詩人の萩原朔太郎 生誕130周年」がありました。
このことを期して、前橋にある「萩原朔太郎記念・前橋文学館」の新館長就任を伝えていました。
その人が何と『ビックリハウス』の編集長であり、萩原朔太郎の孫であったのです。

渋谷駅前交差点萩原朔太郎の詩集に『青猫』(1923年発表)があり、その詩集に収められている詩に、「群集の中を求めて歩く」があります。

群集の中を求めて歩く

私はいつも都會をもとめる
都會のにぎやかな群集の中に居ることをもとめる。
群集は大きな感情をもつたひとつの浪のやうなものだ
[……]
ああなんといふやすらかな心で 私はこの道をも歩いてゆくことか。
ああこの大いなる愛と無心のたのしき日影
たのしき浪の彼方につれられてゆく心もちは涙ぐましくなるやうだ。
[……]
このひとびとの群は建築と建築との軒を泳いで
どこへどうして流れゆかうとするのか
私のかなしい憂愁をつつんでゐるひとつの大きな地上の日影
ただよふ無心の浪のながれ
ああどこまでもどこまでも この群集の浪の中をもまれて行きたい。
(抜粋・原文のママ)

街は建物等風景が変化しても、そこを流れ行く文化は、人も、漂う空気感も、ひとつの方角を目指している「感」があります。
学校という世界も、不思議なもので「何百という個性とひとつの器」が、「ひとつの方角」に向け歩みを続けています。

(佼成学園女子中学高等学校校長 山内日出夫)