3月26~28日、吹奏楽部は宮城県を訪れ、東日本大震災から7年経った被災地を巡りました。本記事はその第二弾です。

4.多賀城市 末の松山
多賀城市末の松山

契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは

清原元輔

(約束しましたよね。お互いに涙のたまった袖をしぼりながら、あの末の松山を波が越えることがないように私たちの愛も決して将来変わることがないことを。)

百人一首のこの和歌には、平安時代9世紀後半に東北沿岸を襲った貞観地震の大津波の記憶が刻み込まれています。当時の国府であった多賀城は津波で大きな被害を受けましたが、海抜約10mの末の松山までは津波も届きませんでした。そのことから、「絶対に守られる約束」、転じて「男女が末永く契る」ことを表象した歌枕として、末の松山は多くの和歌に詠まれるようになりました。そんな末の松山を、多賀城市観光ボランティアガイドの三浦さんの案内で見学しました。

多賀城市観光ボランティアガイド三浦さんによれば、東日本大震災までは、地元の人々の間でも貞観地震のことはそれほど知られていなかったようです。多賀城市内は大きな被害を受けましたが、やはり末の松山までは波は届きませんでした。遠くへ逃げるのではなく、高いところへ逃げることの大切さを、三浦さんは強く語ってくださいました。
本校の校訓は「行学二道」です。日本史や古典の授業で学んだことと、被災地を巡る旅で見聞きしたことが結びつき、学問と実践のどちらも大事であるということが体感できたことと思います。

5.雄島・松島湾
雄島松島湾にやってきた一行は、まず雄島という小さな島を散策しました。雄島は、かつては島全体が霊場でした。島のいたる所にある岩窟は、この島で修行する僧らが死者の浄土往生を祈って彫ったものです。観光地として有名な松島ですが、この世とあの世の境という神聖な場でもあったのです。


松島その後、松島湾クルーズに乗船しました。社員の方に震災時の様子を語って頂きながら、風光明媚な松島湾を巡りました。案内してくださった方は、震災から7年が経ったいま、本当はあまり震災当時のことを語りたくないとおっしゃっていました。厳しい困難を抱えてきたからこそ、当時を思い出すのは苦しいのでしょう。この日の松島は快晴に恵まれ、波も実に穏やかでした。自然は、残酷に猛威を振るう時もあれば、慈愛に満ちた表情を見せる時もあるということを感じさせられました。

6.東松島 野蒜地区
旧野蒜駅東松島市は震災で1000名以上の方が犠牲になり、宮城県内でも最も甚大な被害を受けた市町村の一つです。特に野蒜地区は高さ10mを超える波によって壊滅的な被害を受けました。私たちは、語り部ガイドの門馬さんの案内で市内を見学しました。
まずJR仙石線の旧野蒜駅を訪れました。津波に呑まれたホームと線路が震災遺構として残されています。新たに震災復興伝承館として整備された駅舎に入り、当時のことを振り返るビデオを見ました。


野蒜地区その後、門馬さんと一緒にバスで夕暮れ迫る市内を見てまわりました。かつての野蒜海岸がいかに美しかったか、宿泊施設が並んでいた通りがいかににぎわっていたか、言葉を尽くして語ってくださいました。門馬さんの一言一言によって、部員たちは、今は見えないその光景をそれぞれに想像したことでしょう。被災地に直接足を運ぶことの大切さは、このように土地の人の記憶に寄り添うことにあると言えます。得難い体験をさせていただき、本当にありがとうございました。

旅行記は次回が最終回です。どうぞお楽しみに。

東北吹奏楽キャラバン

(文責:吹奏楽部 秋田)

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