皆さん、こんにちは。学校長の宍戸崇哲(ししどたかのり)です。毎月1回、校長としての私の感じたことや考えを「宍戸校長の【Back to Basics】」と題して、本校HPで発信していきます。学校や生徒のことを中心に社会の出来事なども交えて、皆さんと何かを共有できればと思います。どうぞ宜しくお願い申し上げます。今回は「普遍的な人間教育」と題してお届けいたします。
本校の高校2年生が20時頃、校内予備校の授業を終えて帰宅しようとすると、校門を出たところで、体調を崩し蹲っている女の子を見つけた。様子を聞いた生徒が、ちょうど車で迎えにきてくれた自分の親御さんに頼んで、一緒にその女の子の家まで送ってくれた。そのご家族が感謝伝えようと本校に問い合わせがあり、事の次第がわかった。担当の先生に「素晴らしいことをしたね」と言われると、その生徒は「それは当たり前のことです」と答えたそうだ。私は後日、その生徒に出来事の詳細を聞いて、感謝の気持ちを伝えた。行いもさることながら、その答えにとても感銘を受けた。
数日後、廊下で、清掃業務をお願いしている職員から声をかけられ、「ここの生徒さんたちは本当に優しい。『トイレをいつも綺麗にしてくれてありがとう』と御礼を言ってくれたり、『何か運びましょうか』と言って、私の持っている用具を代わりに持って階段を上がってくれるんですよ。とても嬉しかった。ありがとうございます。」
どちらからも「感謝」の思いが伝えられ、清々しい思いになった。
以前からこのような嬉しい出来事を聞いたら、子どもたちと共有して私からも感謝の気持ちを伝えるようにしている。本校の子どもたちの人間力が真っ直ぐ成長していることを実感して大変嬉しく有り難く思う。
「当たり前のことを当たり前にできるようになってほしい。」
記録映像の中で創立者庭野日敬先生はその教育観を穏やかな笑顔で語られている。私は創立記念式典で毎年、この言葉を通して日々の本学の教育内容の振り返りをする。
「人として当然しなければならないこと。」本校では「5つの実践」を中心に子どもたちと日々精進するよう心がけている。私が生徒たちに直接話す機会があると、必ずこのことに触れることにしている。
シンプルなことだが社会人になっても実行することは難しい。子どもの頃から日常生活の中で良い行いを繰り返していき、「薫習くんじゅう」となれば自然に身についていくのだろう。
時にこのような教育観が「古い価値観」「昔の教育」などと言われることがある。私は欧米を中心に海外での生活があった。国際教育プログラムを開発して、引率することも数多くあった。他国で、他者への細かな配慮に満ちた挨拶や会話、態度、振る舞いを日常的に経験すると、外側から見る日本社会で風化している大切なものに気づくことが多々あった。
英国、N Zやオーストラリアでホームステイする生徒たちは、家庭内の躾の厳しさ、小さな子供でも家庭で一定の役割をさせる教育に驚いたり、戸惑ったり、時に大きな誤解をして、不平不満につながることもある。お金を払ってホームステイをしているのだから、なんでもやってくれると思う人もいるからだ。日本人が抱く欧米の家庭に対するイメージと異なるので、意外に思う子どもたちは多い。
彼女たちは親から離れ異国の家庭で、英語を学ぶ以上に「人として当然しなければならないこと」を学ぶのである。
人々の生活、文化、価値観は日々変化していくものであるが、子どもが社会で他者と共感協働して生きていくには、どんな時代、どんな国でも、普遍的に人として備えなければならないものがある。「新時代の教育」を進める中で、最も大切な土台が人間力であり、また最も先進的な取り組みが「人として当然しなければならないことを学ぶ」ことであると思う。古いなんてとんでもない。この普遍的なことが最も新しく最も必要な取り組みであると思う。