一頭の白い馬が緑の樹々に覆われた山裾の池畔に現れ、画面を右から左へと歩いて消え去った―そんな空想が私の心のなかに浮かびました。私はその時、なんとなくモーツアルトのピアノ協奏曲*の第二楽章の旋律が響いているのを感じました。
おだやかで、ひかえ目がちな主題がまず、ピアノの独奏で奏でられ、深い底から立ち昇る嘆きとも祈りとも感じられるオーケストラの調べが慰めるかのようにそれに答えます。白い馬はピアノの旋律で、木々の繁る背景はオーケストラです。
日本画家東山魁夷の「緑響く」という1982年の作品に対する画家自身の思いです。
私は東山魁夷の絵が大好きです。独特な美しい青、緑、白の絵筆、幻想的でありながら写実的な作風。多くの作品に見られる自然界の営みが表れた色の使い方。展覧会や唐招提寺で実物の絵と対峙したときに、絵から発せられるあまりのオーラに圧倒され、弱っていた私の精神性に清らかな水が注ぎ込まれるような気持ちになり、涙が出そうになったのを覚えています。画家本人の解説を紹介しましたが、絵画は鑑賞する側に、作り手の意図とは全く違うものを与えることがあります。観る側は自分の感性を研ぎ澄ませ、自由に空想して、自らの鑑賞を楽しめばよいのです。
今の時代、多くの過激な画像や動画が身の回りにあふれ、人の持つ想像や空想の力を削いでしまっているのではないかと思います。想像はものを作り出す創造に繋がるものです。新しいものを生み出す力は感性豊かなこころにその根を張ります。絵画に限らず、音楽や文学などの芸術は作り手もしくは鑑賞する者それぞれに異質の形をもつもので、自由に飛躍的にそれぞれが表現していけばよいと思うのです。
アメリカのオバマ前大統領が提言した教育の形STEMが日本の教育界で話題になってから久しいですが、その後STEAMという形が脚光を浴びるようになりました。科学や技術などを互いに結ぶ、あるいはその源となるのがArtだという考え方です。とても共感できるものだと思います。単にArtを芸術と捉えるのではなく、Artを生み出すものに注目すると理解しやすいのかもしれません。それぞれの人の心の奥にあるものを表現する。それぞれが自由に発想する。このことが一見つながりのない学問や活動をつなげて、世界をよりよく豊かにしていくということなのだと考えます。
人間社会の営みの一部にAI、ロボット、云々が言われるようになりましたが、AIには不可能な人の感情に働きかける力として芸術的なこころの大切さにも注目が集まるでしょう。芸術的な能力とはある意味、人間力の言い換えであると思います。21世紀教育はより人のこころにフォーカスしたもので、日々人間力を養う教育をしているKOSEI girlsは、この流れに沿って、正解のない課題に立ち向かえる能力を育てたいと思います。
平成最後の年が終わろうとしています。皆様良いお年をお迎えください。
学校長 宍戸 崇哲