宍戸校長のBack to Basics Back to Basics

苦がもたらす大切なもの

 今回より敬体でなく常体で文章を書いていきます。どうか宜しくお願い申し上げます。

 

 軽い目眩がありフワッとして、体が浮く感じを覚えた。気がつくと自宅の階段の一番下まで落ちていて、右脚膝下の激痛に襲われた。見ると、足がありえない方向に曲がり、だらんと垂れ下がっている。冷や汗が止まらず、身動き一つできない。完全に骨折していると確信した。 令和2年1月5日、新学期直前のことだった。

 診断結果は右膝下脛骨、腓骨4箇所の複雑骨折というもので、「一体何をされたんですか」と医師に聞かれるほど重篤な状態であった。オペが必要との判断で年明け早々、私は緊急入院することとなった。

 夕方から夜になった。私はベットに横たわり、4人部屋病室の天井とエアコンの風で波打つカーテンの動きをただ見つめていた。様々なことが心を巡った。

「始業式の訓話の原稿は途中まで書いたけど、こんな痛みではとても完成できない。そもそもこの状況では、式に出られない。それどころか、しばらく学校に行けないな。先生たちや子供達にとんでもない迷惑をかける。どうしようか。」

「一体、いつ歩けるようになるのか。そもそも元通りに歩いたり、走ったりすることができるのかな。」

「そういえば子供の頃、高校受験直前の時期に、こんなふうに病室の天井を見つめて自分の将来はどうなるのか、考えていたな。」

 私は中学生になって気管支喘息の発作が頻繁に起こり、深夜に病院で点滴治療することが非常に多かった。それに加えて高校受験直前には喘息発作から肺炎になり、入院を余儀なくされた。人生の進むべき道の真ん中に大きな岩が立ちはだかり、前へ進むためには小さな脇道や自分が想像もしなかった道なき道を探すしかなくなった。そこから長い、長い旅があり、今の自分につながっている。今回の大怪我で当時の思い、感情、考えたことが蘇ってきた。

 病気や大きな怪我を経験することが人生観を変えたり、普段見えなかったものが鮮明に現れることがある。日常生活の何ともない動作がある日突然できなくなる。私の場合、入院中のベットで一切動けない不自由さ。自宅での食事、入浴、トイレ。手の届く距離がわずか20センチ伸びたことによる不便さ。高さ3センチのドア下の枠。玄関ドアまでの3段の石段。こんな小さなことがバリアになり、ごく普通の日常生活の動作を脅かすこととなる。私は骨折による身体的な痛みとともに、大きな心の痛みも同時に負うこととなった。

 私よりも過酷な状況に人生をかけて闘っている人達がどのようなことを感じるか。社会や他の人々に何をしてほしいと思っているのか。私は今回の大怪我を通して、ほんの少しだが、気づくことができる。病気や怪我により、私たちは普段見えない大切なものに気づくことになるのかもしれない。

 

 仏教の四苦「生老病死」の中で、年齢問わず、「病」は私たちの身にいつでも起こり得る苦である。人は病への恐怖感、絶望感、生活の変化、不自由さ、他者に介助をお願いする時の遠慮、思い通りにならないことへの苛立ちなどを感じることもあるだろう。そんな時、健康であることへの深い感謝を感じることができる。ごく普通のことがどれだけありがたいことかを気づくことができる。病気の時は、いつもより心が何かを吸収しやすく、感受性も一層強くなっているのかもしれない。

 禅僧であり、作庭でも著名な枡野俊明(ますのしゅんみょう)さん、渋谷の東急セルリアンタワーホテルラウンジの日本庭園が枡野さんの作品の一つだと知り、興味を持って、10年以上前から、いくつかのご著書を読ませていただいた。その中に、「当たり前が有難いことに気づく。それこそが禅が目指す心の境地と言ってもいいでしょう。坐禅も作務も読経も禅の修行は全てその境地にいたるためにあるのです。その意味では、病気になることは禅の修行を積むことに等しい、という言い方もできるわけです。」とある。

大変深みのあるお言葉で、清らかな水の流れのように、私の心に滲みて広がった。

 日常生活のありふれたことに感謝ができると、その人の心の器が広がる。他者の気持ちが理解できるようになる。ただ、与えられた情報や知識で、表面的にバリアフリーの必要性を考えても、一時的な取組みで終わってしまうかもしれない。病気や怪我を体験すると、自分の眼前に、ごく普通の階段が大きな壁として存在するようになる。この建物にはなぜエレベーターがないのか。障がい者用トイレがなぜ設置されていないのか。仕事して生活するために、直面する課題と真剣に取り組まねばならない。まさに死活問題だ。病気や怪我はできるだけしないようにしなければならないのは当然だが、そうなってしまったら、体験を通してしか理解できないことを深く受け止め、気がつかない人達に声をあげ、見えたもの、感じたものを伝えていくことが必要であろう。こういった流れから、多くの人が本当の意義深いインクルーシブな社会構築を考えることにつながってくれれば、と心から思う。

 

 病気になることで見えることもあり、ありがたいことである。

 本校では子供たちに、机上の研究だけでなく、フィールドワークを通じた実体験型の学びを永く進めている。特にN Zでの1年留学は、長い期間、日本の家族から離れる。外国人の家庭で家族の一員として生活する。知識や情報でなく、実体験して、どっぷり現地生活を送ることでしか見えないものもある。それは病気や怪我の時に体験するものと通じるところがある。

 苦によって人は成長する。苦労を厄介と思うだけでなく、苦労からしか学べないこともあるのだと思う。体験して獲得したものを多くの人々と共有して、課題に向かいあっていきたい。

 年明け早々、皆様には多大なるご迷惑をおかけいたしまして誠に申し訳ございませんでした。本年もどうか宜しくお願い申し上げます。

  

学校長 宍戸 崇哲

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