宍戸校長のBack to Basics Back to Basics

山内前校長先生との思い出

皆さんこんにちは。学校長の宍戸崇哲(ししどたかのり)です。毎月1回、校長としての私の感じたことや考えを「宍戸校長の【Back to Basics】」と題して、本校HPで発信していきます。学校や生徒のことを中心に社会の出来事なども交えて、皆さんと何かを共有できればと思います。どうぞ宜しくお願い申し上げます。今回は「山内前校長先生との思い出」と題してお届けいたします。

「10月22日に山内日出夫先生がご逝去された」との知らせが23日、学園理事会に出席していた私のもとに届いた。驚きと悲しみがいっぺんに私の心を支配した。それから、山内先生の優しい笑顔とよく通る大きな声で話されている姿が浮かび、胸の詰まる思いになった。

先生は急性白血病と闘われ、68歳でご逝去された。「自分の命は年内もたないと言われた。告別式でご挨拶をお願いしたい。」今年10月1日、病室から酒井前学園理事長に連絡があったそうだ。それから3週間ほどで本当に旅立たれてしまった。私は先生が御退任されてからも時折メールで連絡し合っていたが、高崎で元気にお過ごしだと思っていた。今年になってこの社会情勢もあり、私は御病状に関して全く何も知らなかった。「自分は会津の侍だ。潔くありたい。」と仰っていたことを昨日のことのように思い出す。事実、旅立ちの御顔は凛々しく、侍そのものであった。こちらに報せないことも山内先生の深いご配慮があったのだろうと思う。

1991年、先生は30代の若さで福島県会津若松市長に当選。2期8年間を故郷の発展のために尽力された。その後、政治の道から一転、教職を目指して大学へ再入学。教員免許を取得され、2010年から7年間にわたり、本校の校長として、子供達の教育に誠心誠意取り組まれた。先生は子供たちの進路実現のために、進学実績向上の様々な施策を打ち出され、また、国際教育分野を強力に推進された。当時、私は国際部長として英語教育や国際理解教育に携わっていたことから、山内先生と国内外問わず、多くのフィールド・研修地にご一緒して、仕事をさせていただいた。2014年、先生は文科省が始めたスーパーグローバルハイスクール(S G H)に名乗りを挙げられた。初年度全国56校の1校に選ばれ、S G H第1次指定校となった。これを契機として、本校は学内に「スーパーグローバルクラス」を新設、タイ・フィールドワークや英国ロンドン大学S O A S校との特別提携留学など新しい教育プログラムを開発、国際的に活躍できる人材育成への道をさらに進むことになったのである。

「会津若松市長時代の山内先生」

 

「ロンドン大学S O A S校との調印式」

 

また、思い出されるのは、次の詩である。先生が繰り返し、紹介・朗読された詩である。

「念ずれば花開く」

坂村 真民

念ずれば花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった

辛い時、苦しい時に、心を込めて思い、努力すれば、いつか物事は成就する。今現在を生きることが大切だということを教えてくださったのかもしれない。
「頭を鍛え、体を鍛え、心を鍛えよ」「行事が人をつくる」など、お言葉一つひとつが生徒だけでなく、保護者や教員の心を打つものであった。また、創立者庭野日敬先生を心から敬愛されていた先生は、創立者の思いを永く世に繋いでいくという願いを強く持たれていたと思う。

創立者の子供たちへの思い、設立理念「国際社会で世界平和に貢献できる人材を育成する」をそれぞれの先生方が噛み砕いて、その時代の子供たちに伝えてきた。根本となる教育理念を継承しながら、私たちはこの困難を極める世界をいかにより良きものにしていくか、答えのない課題にいかに対応するか。新しい学問、研究、技術を進展させることは言うまでもないことである。しかし、人の思いや心を育てないで、学校や教育機関とは言えない。人間力の土壌に「花ひらく」のである。人間力がつけば、ほうぼうに「花がひらき、実になる」のであろう。

心の教育を大切にされた山内前校長先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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