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宍戸校長の【Back to Basics】「創立者庭野日敬先生の教育観」

皆さんこんにちは。学校長の宍戸崇哲(ししどたかのり)です。毎月1回、校長としての私の感じたことや考えを「宍戸校長の【Back to Basics】」と題して、本校HPで発信していきます。学校や生徒のことを中心に社会の出来事なども交えて、皆さんと何かを共有できればと思います。どうぞ宜しくお願い申し上げます。今回は「創立者庭野日敬先生の教育観」と題してお届けいたします。

 

「人間らしい心を育むことこそ優先すべき」「人間としての一番本質的なものを育てる」

「人間の心を育むための具体的な実践項目」「人として、当たり前のことを当たり前にできるようにすること」これらは本学園の「建学の精神」の中で大切にされている、創立者庭野日敬先生の教育観の一部である。

先日、緊急事態宣言が解除され、ようやく学年ごとに対面で子どもたちと話す機会が出来つつある。しばらくの間、子どもたちと同じ空間を共有して言葉を伝えていない。校訓や5つの実践など、なぜ実践しなければならないのか、果たして子どもたちの心にどれだけ伝わっているのかと思うことがある。また、今般の社会状況を見ると人としての心の持ち方、道徳観や礼儀、マナー、他者との関わり方など、学校は当然のこと、家庭や社会が覚悟を持って子どもたちに学びの機会を与えていかなければならないとあらためて思う。なぜなら、これまで以上に世界が大変貌しているからだ。インプットした知識を正確に再生するだけでなく、知識を使って問題の本質を捉え、考えを生み出して、それを表現する。さらに人々と共有して、goalを目指す。さらに困難なことには、良いと思って出した結果が良いとは限らず、どんなものを出しても必ず賛否両論、多種多様な考えに囲まれるということだ。しかし、結果は一定期間内に出さなければならない。コロナ禍の世界で私たちが昨年から格闘していることだ。現在の子どもたちが社会人となり、課題と対する時に役立つものを持たせてあげたい。あらゆる新しい仕組みや取り組みを通して培われる様々な能力に人々の関心は注がれる。S D G sを進めて地球を維持していく力の根源は、やはり、その人の生きてきた中での経験や体験から修得した「人としての力」であろう。

 

庭野先生は次のように述べられている。

「人間としてのいちばん本質的なものを育てる」

人間にとっていちばん大事なのは、人様の心、つまり、人の喜びや悲しみがよくわかる心だといっていいと思うのです。明るく、温かく、素直な心で人を思いやれる。人間とは人と人の間柄で生きるものという意味ですから、この人様のことを思いやれる心の上に知識、技術がそなわってこそ、鬼に金棒となる訳です。

 人間としての一番本質的なものを育てるのを忘れて、受験だ、勉強だ、と押し付けている親御さんが多くなっているのですね。

「頭を鍛え、体を鍛え、精神を鍛える」

どんな不測の難問題がふってわいてもテキパキと対応できる、柔軟で応用のきく頭脳が本当のいい頭脳なのです。未知の領域へ積極的に踏み込んでいき、限りなく新しい世界を切り開いていく頭脳が本当のいい頭脳なのです。そのためには、詰め込み一辺倒ではなく、頭を鍛え育てなければならないのであります。

それより大切なのは、心を鍛えることです。どんなに頭が良くても、心がそれを正しい方向へリードしなければ、その良さが返って仇となってしまいます。現代科学の頂点と言われる原子物理学が人類最大の恐怖である原水爆を生んだことは、そのいちばん顕著な実例です。ですから、正しい心を育て、人間らしい心を育むことこそ、全てに優先すべき大事であると言わなければなりません。(昭和45年7月)

 

先生は知・情・意のバランスのとれた人間の育成を強く願われて、繰り返し、家庭教育の充実から学校教育の中で、人間らしい心の醸成を最も大事にされたと思う。本質的なことに時代の新旧などない。新しい考えが必要な今こそ「温故知新」である。

先日、私が中学生に対する講話の中で、「5つの実践」をなぜ行うのか、庭野先生のお言葉も紹介しながら、その意義と人として大切なことを私なりに伝えた。子どもたちの評価や感想を読むと、人として挨拶を交わす意味、校門出入り一礼をなぜするのか、など多くの子たちの心に残ってくれたようでありがたく思う。繰り返し伝えていきたいと思う。

一方で、

「校長先生の言ったことはわかるが、それでも挨拶は面倒くさい。」

「こちらから挨拶しても返してこないから嫌なのでしない。」と率直に書く子もいる。

本当にそうであり、よく理解できることだ。しかし、まずは学校で皆がやってみる。実践する中で、心に何か変化が起きるかもしれない。実践は繰り返し行うことで習慣化され、自然に実践している自分が「なぜ行っているのか」を考えるようになると、本当の実践に近づくように思う。

多種多様な考えや人を尊重し、自律に基づいた自由を確保していくことは、これから本当に大切である。

本校はこの考えを積極的に進める学校である。ただ、社会に出る前に「人として大切なこと」を身につけさせることはさらに大切である。

 

庭野先生は平成5年に著書「瀉瓶無遺(しゃびょうむい)」の中で、大人が子どもと友人のような関係になってきているのを憂い、子どもを育てる側の責任について以下のように述べられている。

「子どもに対する理解ある態度が、やがて見て見ぬふりになり、ついには放任になりやすいのです。これでは「我慢すること、すなわち意志の鍛錬」や「社会に対する適応力をつける」という人間にとって大切なトレーニングが全くされぬままに大人になってしまいます。それは親の責任であり、教師の責任であり、悪い見本を見せた大人社会の責任であるという反省を皆がしなければならないのです。」

 

学園創立者の厳しい言葉、崇高な教育観を、親として、教師として、大人として、しっかりと受け止め、子どもたちに真の思いやりを持って、人として必要なことを覚悟を持って伝えていかなければならないと思う。

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