2021年2月、ビルマ(ミャンマー)では軍のクーデターが発生しました。4年近くが経った現在も、不安定な情勢が続いています。
SGクラスでは2021年から、ビルマの民主化について考える特別授業を毎年開催しています。
交流授業の様子
今回は、同様の活動を続けている学習院高等科のみなさんと、11月にお招きした在日ビルマ人のウィンチョさんとマティダさんご夫妻、日本ミャンマーMIRAI創造会の石川さんと交流授業を実施しました。
交流授業の中では、現地の学校とビデオ通話を繋ぎ、同世代の学生たちと交流しました。現地の学生たちはアンジェラ・アキさんの「手紙 ~拝啓 十五の君へ」や、ジブリ映画でおなじみの「カントリーロード」の日本語歌詞を勉強して交流会を待ちわびてくれていました。画面越しではありますが、一緒に歌を歌うことで、お互いに心を通わせることが出来たようでした。
その後、学習院高等科の皆さんと小グループに分かれ、これまで学んできたことや各校の取り組みを通じた気づきについて、自由にディスカッションを行いました。
地理の授業の一環としてミャンマー情勢を学んできた学習院高等科の皆さんと、隣国タイを訪問した経験を軸に、東南アジアを通観する学びに取り組んできた本校SGコース、それぞれの視点からの発言は、お互いにとって良い刺激になったことと思います。
交流を終えて
終始和やかな空気で終了した交流会ですが、実はこの話には続きがありました。
現地の先生のお話では、通話が終了した後、現地の生徒たちは涙を流していたそうです。
同年代なのに日本の子達は平和に勉強できて、どうして自分たちはひどい目に遭っているのか、悲しくなったからだといいます。
交流の前日、学校の近くでも空爆がありました。
日々の生活も安心して送ることが難しい環境の中で、彼らは2日で「手紙 ~拝啓 十五の君へ」と「カントリーロード」の歌詞を覚えてきてくれました。
日本語で私たちに歌を届けたいという熱意、未来に向けて手紙を書くという内容の曲を選んだ思い。
当日はそれらを好意的に受け止めていた生徒たちですが、交流の後の現地の生徒たちの様子を知った本校の生徒たちは、翌日に改めて振り返りを行いました。
生徒の振り返り
- 先生の話を聞き、自分達は無力だと思った。また、この日本で平和な生活を送っている私達を見て相手がどう思っているのかは気になっていたが、目を逸らしていたことに気付かされた。交流会のときも現地の高校生は「なんで自分たちが」と思ったと私は思う。しかし、側から見れば酷いことをしているのかもしれないし、私が勝手に信じているだけかもしれないが、交流会のときに私達に会いたい気持ちや楽しい気持ちは嘘ではないと思う。でなければ、交流会が一回で終わっていただろうし、日本の曲を覚えてこないと思う。しかし、何も考えないで交流するのは同じことの繰り返しになってしまうため、もし機会がもう一度あるのなら、どんな態度で臨むのかを考えなければいけないと思う。
- 講義の翌日に、電話で交流をした現地の学生たちが、その後自分たちの置かれている環境に泣いていたということを知った。前回や今回の電話の途中や終わった直後は「楽しかった」「歌を一緒に歌えて心を通わせられた」などと思う人が私自身も含め多数であったが、講義の後にそのようなことを知り、「楽しく交流できた」=「心を通わすことができた」と簡単に言ってしまって良いのか、ということを深く考えるようになったことが自分自身の一番の変化だと思う。
- 相手による受けとめ方は様々だが、かといって何もしないのは見て見ぬふりをするのと同じだと思う。たとえ自分が無力に感じても、失敗や誤解を恐れて何も行動しないのではなく、その過程で得た学びや反省を次にいかし、より相手に寄り添った支援の形を考え続けることが大切だと思う。支援とは大きな成果を求めるものではなく、小さな気づきや変化を積み重ねていくものだと気づいた。「自分たちの行動が本当に相手のためになっているのか」を常に問い続けたいと思った。その問いを続けて支援する側も成長し続けるべきだと思う。
- 交流会自体はとても楽しくて、胸に憂いもなしに終えられたけれども、ミャンマーの子たちはあの後泣いたんだと思うたびに、自分の生まれた国とあの子たちが生まれた国になぜこんな違いが生まれて、その差に泣く人が出てきてしまうんだろうと思う。前日に空爆があって怪我した子もいて、最高潮に死を目の前に感じただろうミャンマーの子たちにとって、死の危険性もなく安全地帯から笑いかけてくる私たちは、羨ましいだけじゃなくて、なんで自分たちはこの国に生まれてしまったんだろうと思わせてしまう対象になってしまったのではないか。ミャンマーの子たちにとって酷な時間になってしまっているのではないかなと不甲斐なく思った。きっと交流会の最中にも来る戦闘機のアラームに胸を重くさせて、その恐怖を知らない私たちと同じように笑って見せて、「手紙」と「カントリーロード」を歌っていた。どちらもミャンマーの子達が歌うことで重みが出ると私たちは意見交換したけれど、その重さがどれほどミャンマーの子たちにのしかかっていたのか、通話の後にミャンマーの子達が泣いてしまったと知るまで想像もしていなかった。きっと日本語で歌うために歌詞を勉強している中で、歌詞の意味に泣いてしまったかもしれない。それすら交流会時点では想像すらできなくて、ただミャンマーの子達が歩み寄ってくれたことに喜んでいた。最初の交流会の時は私はどんな顔で交流すればいいのか分からなくて周りの子たちの笑い声とかに合わせていたはずなのに、なんで私たちは違う立場にいるということを忘れていたんだろうと思う。果たして本当に笑顔で終わって良い交流だったのか、再三考え直してみたい。
- 今回の交流会では、ミャンマーの学生たちと通話で顔を合わせて話をしたり、一緒に歌を歌ったりする中で、彼らの日常や思いに触れることができました。交流会の前夜にも空爆があるような厳しい状況が日常的に続いている中で、こうして私たちと話をしてくれたこと、現状や困難を伝えてくれたこと、そして笑顔で交流を楽しみにしてくれていたことに対して深い感謝の気持ちを抱いています。現在彼らに直接会うことは叶いませんが、ウィンチョさんやマティダさんはいつか会えると希望を強く持ち続けていらしたことが印象的でした。オンラインを通じて顔を見て話し、歌を通じてつながることができたこの経験は、非常に貴重なものです。
どのように質問をすればよいのか悩み中々聞くことができなかった点が心残りでもあります。困難な状況の中でどのように前向きに生きているのか、その心の支えや希望を保つ秘訣が知りたいです。
私たちが彼らの現状を知ることでどのような形で支援や協力ができるのかについても考えて続けていきたいです。
- 直接的な支援と間接的な支援のふた通りが存在するのではと考えます。その中で、私のような人間が多く関われるのは間接的な支援です。
今日の授業でも話題にあがったように、間接的な支援はすぐに成果の出るものでもなく、経由するものによって支援内容が届かなかったり、関わりの少なさから本質的なことを無視しても行えてしまうというものがあります。
結局その支援が押し付けなのか助けなのかは、支援される側が受け取って初めてわかります。だから、支援としてどんな形で相手の手に届くか、相手が何を思うのか、必死に想像力を働かせて、声を聞いて、考えて、改善していくしかないんだろうなと思うのです。今日、通話の裏で何があったかを知って、みんなそれぞれ1からミャンマーの人たちへの向き合い方を考え直したあの姿勢が、「支援」をあたたかい思いやりを持った形で誰かに届けるために1番大切なものなのだと思います。
最後に
フィールドワークや研究の先には、自分たちと同じように、与えられた環境に悩み、もがきながら生活をしている人々が存在しているということ。
それらの人々の生活圏を「フィールド」として学び調査する者には、それだけの責任があるということ。
SGクラスでも様々な形で学んできたことではありますが、今回ほど現実味を帯びた気付きを得る機会はなかったことでしょう。
様々な出来事を「自分ごと」として捉えることの大切さを改めて学ぶ貴重な時間となりました。
今回の交流を、楽しい時間になったという自己満足で終えることも、無為だと諦めることもせずに、苦しみながらも考え続けられる生徒たちであってほしいと願うばかりです。